前編https://kibunsonouchi.hatenablog.com/entry/2021/11/21/220641
○信じて良かった
恥ずかしい話、色んなことが重なって関ジャニ∞を見られない時期というのがあった。本来なら誰にも話すべきではない、醜くわがままな理由と感情である。
話は遡り、錦戸さんの脱退が決まり5人体制がスタートするというタイミングの時。同時に47ツアーの開催が発表された。
誰がどう考えても今のファンクラブ会員の人数に見合わない収容人数だった。行けないファンの数の方が圧倒的に多いツアー。
全都道府県を把握しているわけではないが、会場のアクセスもお世辞にも良いとは言えない。私の住む北海道もそうだったが覚悟を決めて応募。まあ、当たるわけがない。
当たった人は素直に強運だし良かったね、と思う。しかし参戦経験が少なくこれが初めての落選となった身としては、一気に∞との距離が遠くなり、もっと醜い言い方をすると突き放された感覚になった。
そもそも6→5の衝撃が抜けない中で、少人数だけ集めてライブをやる。何なら∞本人達にとっても無茶なスケジュールであり、体調が心配になるし「何でそこまで?」と思わなくもなかった。
彼らは生きているし意思がある。何でもファンの、私の思い通りに行かないのは当たり前。
そう分かっていても思い通りに行かないことは素直に面白くないし、せわしなくて感情が追いつかない。心から好きだという気持ちはかなり揺らいでしまった…
結局、ツアーは中断になる。誰も悪くないけど有耶無耶になったと私は見ている。希少なチケットを勝ち取ったのに行けなかった人の気持ちを考えると心が張り裂けそうだし、無茶をしてでも走ろうとした∞の出鼻を挫かれた事実には虚しさを感じた。
誰も悪くないけど、コロナが全部悪い。
コロナが日本でも身近になってきた頃、不安な日常の中で「外出するな」という声が聞こえ始める。
リモートワークに切り替えられる職種なら、世論通り外出しない努力ができる。個人的な話だけど、職場の専用の機械を使ってものを作る製造業の私にとってはどうしても出勤する必要があった。そして運が良いのか悪いのか、コロナが流行り出した頃はたまたまとんでもない量の注文が入っていて忙しく、通常よりもむしろ出勤日数は増えていた。ほぼ毎日、「外出しなきゃいけなかった」
勿論、出勤以外の外出はしなかった。不要不急の外出を控えるというのはこういうことだと今では分かる。家から出ないで仕事をすることだけが正解ではなく、個人でできる範囲の努力をすべきということを言っていたんだと今なら思える。いつの日か関ジャニ∞のメンバーも訴えていた「外出するな」という言葉もそういう意味だったと捉えたい。
でもたまたま疲れてキャパの狭くなった当時の心にはその言葉がひどく突き刺さってしまった。
私の仕事は医療や介護、教育など人と関わるわけでもなく、製造業の中でも生活必需品を作っているわけでもなく、とにかく「なくなったら困る仕事ではない」と勝手に劣等感を抱いていた。気持ちが落ちていくのは簡単で、しばらく「自分は毎日不要不急の外出をしている悪い人間だ」と思いながら出勤する日々が続いた。
そして気づいたら医療現場が大変なことになっていて、…こんなテキトーな言い方をしてはいけないくらい大変なことになっていて、ジャニーズ総出で医療従事者を応援する動きが始まった。
関ジャニ∞がRe:LIVEにむけて動き出したのもこの頃だった気がする。まずは歌詞を作るのにエピソードや言葉を募集するところから始まったっけ。
すっかり先ほどの被害妄想にどっぷり浸かったクソゴミメンタルの私は、このプロジェクトについても「医療従事者のためのものでしょ」とひねくれた目で見ていた。医療従事者を始めとする、大変な思いをしてコロナと戦う人達。外野の人間なりに、その過酷さに胸が痛んだ。だからこそ、私も曲がりなりにも仕事をして日々生きているけれど、このプロジェクトの対象に私は入っていないと思った。もう自分はeighterと名乗って良いのかどうかも…当時のことを書いていてそろそろイライラしてきたのでやめます。無駄に長いんだよここまで!!!!!
そんな感じでクソみたいに色々考えてしまったわけだけど、関ジャニ∞が素敵すぎるからやっぱり好きなものは好きだった。自分の思う理想のeighterとはかけ離れているけど、まずは無理せず彼らのことを見続けたいと思った。
いつしかコロナ禍になって長い時間が経って、良くも悪くも未知への恐怖は薄れてきた頃。環境や世論が少しずつ変わったことで自分自身の∞に対する醜い感情は薄れていった。もう、遠く遠くの存在だと割り切れば良いと思った。
関ジャニ∞は5人の新曲を次々と発表した。更に、「歌を強化する」方針を打ち出した。
年齢やキャリア的に熟されて良い感じになってきたようなタイミングで、まるで初心に帰るような挑戦に度肝を抜かれた。このカッコいいグループを好きになって良かった、応援したいとごく自然に思った。
しかし私の住む地方も含めてコロナは収まる気配がない。それ故彼らのアップデートした歌を現場で聞けることはもうないんだろうとも思った。
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8beatにおいて
初日公演中、確か村上さんが、関ジャニ∞はジャニーズグループの中でコロナ禍での有観客ライブをやるのが遅い方だったというニュアンスのことを言っていた。
やっぱり、十五祭からのおよそ2年ってとてつもなく長かったんだ。
もう現場には行けなくて当たり前なんだと諦め切っていた所でのアリーナツアーの発表。寝耳に水だった。そして何故か東京の会場はないし西日本の会場が少ない中で札幌で3公演もやることが分かった。ひたすら奇跡だしありがとうなんだけど…改めて何でだったんだろう????笑
この時初めて真剣にコロナの収束を祈った。個人の対策でどうにもならない部分に絶望するのではなく、初めて快方に向かうことを想像して祈った。
どの公演でも勿論参戦できれば嬉しい。しかし近年は北海道って初日が多いよね。初日ハッピー!
今回はコロナ禍ゆえの試みが多いし観客の…エイターのマナーが問われるという意味で責任ある初日だと自覚して臨んだ。
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「まもなくRe:LIVEです!」というアナウンスで開演。
そして5人が登場と同時に初めて生で聴くRe:LIVE…
この時に初めてRe:LIVEの歌詞が頭に入ってきた。eighterの1人としての私に向けても歌われていると、感じた。心が開いていくように、涙が溢れ出た。
信じていて、良かった。
私はeighterになれて、良かった。
会えない期間が長く続けば続くほど、不安は大きくなり心は弱る。「わたし鏡」で安田さんが歌っているね。
その上歴史に残るようなこの特殊な超閉鎖的な環境。信じる気持ちも揺らいでいく。事情はそれぞれあれど、ネガティヴな感情を抱いたファンは私の他にもいるんじゃないかと思う。(いなかったら謝る。)
ずっと私は生の歌を聞きたかったんだ。
生の姿を見たかったんだ。
信じたかったんだ。
コロナ禍で苦しい思いをさせられたのは関ジャニ∞本人達だってそう。私には想像しきれないくらいの苦しみかもしれない。
なかなか表に出られなくても、歌の技術を磨いたり、横山さんがまさかのギターに挑戦したり、見えないところでたくさん努力をしてくれて確実にレベルアップした5人のライブを見せてくれた。
生きているだけで好きなんだけど、かっこよさにゴールがない、いつまでも昇り続ける関ジャニ∞が好き。
8beat真駒内公演初日、この大切な1公演を胸に秘めて彼らを信じ続けられる。
まだツアーは最初の段階なのに気が早いけど、次のツアーもやってくれることを強く願う。参戦できないeighterの存在を少なからず知っているからだ。近いところだと私の母親。勤務先のきまりで、住んでいる町の外に出ることが実質許されていない。応募の段階で諦めざるを得なかった。
ライブ中にもヤスくん?丸ちゃん?(忘れてしまった…)が「会場に来れなかったeighter」としっかり名指しして気にかけていたのが印象的だった。
今の関ジャニ∞を見て、この8beatツアーが最後なんかじゃないと信じられる。アラフォーの彼ら、充分すぎるほどかっこいいのにまだまだかっこよくなるらしい。
ライブを大事にしてくれる
かっこよくなり続けてくれる
到達点が無限大な
関ジャニ∞が好き。
「eighterで良かった」
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もし最後まで読んでくれるような物好きな方がいましたらありがとうございました( ;∀;)
自分でもむしゃくしゃするくらい醜いことを書きました。これは酷い考えだと分かっていたから今の今まで誰にも言いませんでした。絶望した環境の中でこんなことを言ったらただの愚痴と文句になって終わりだから。
今少しずつ希望が見えて、素敵なアルバムが出てツアーも始まって、気持ちが切り替わって今はあの時のネガティヴな感情とは違うと断言できるからこそ忘備録として書いた次第です。