右向け右、向きたくなくても右、②

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https://kibunsonouchi.hatenablog.com/entry/2024/03/21/203656

 

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前回の受診でランドセン を処方されて3週間……

 

飲み続けている最中に思った。「3週間って長くない…?」

用法をきちんと守り飲み続けた結果として、効果は感じられなかった。症状が抑えられてると実感できたのは本当に最初だけ。その代わりと言ったらなんだが、副作用も1週間経った頃からか気にならなくなっていた。

飲んでる意味?と笑ってしまいたくなるくらい、首は傾いた。

 

もちろん、前回の記事で触れた時期に比べれば、長い目で見ればかなり楽になったと言える。

 

でも、私はもう耐えられなかった。薬を飲んでも、副作用の眠気に耐えても仕事をすれば襲ってくる首の痛みと吐き気。

 

退職を決意した。

 

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ちょうど薬を飲んで1週間が経ったときに仕事に限界を感じて、状況を何とか変えたいと強く思った。すぐに週末に時間を作って頂き、社長夫婦に辞めたい意思を伝えた。そこから話は早かった。

 

体調が理由での退職について快諾して頂けた上に、なんと4月いっぱいは有給休暇にして頂けた。(本当にありがたいと思っています。)

 

この時点で3月が残り1週間あったため、これは私の要望で半ドンで働かせてもらうことにした。

 

その時にできるアクションとして、良いプロセスを踏めたと我ながら思う。

 

こうして私は不調の苦しみから徐々に解放されて、大好きだった仕事を自らの手で失うことになった。

 

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私が知りたかったのは2つ、

・この症状をもたらすものの病名

・これは果たして「治る」ものなのか

 

今日、脳神経内科の先生に経過を話すとともにこの2点についても質問した。

・病名はわからない(私のケースは判断が難しいと改めて言われた)

・治らない。今できることは対処療法。

 

あくまでこれも選択肢のひとつ…として、ランドセン の量が倍に増えた。

なにせ、反対に服用をやめる選択肢も提案されたのだ。

 

症状はあるのだから、量を増やす方に私は同意した。

 

わからない…前述の通り長い付き合いは必然で、正解をすぐに当てるのは難しいのだと現実を突き付けられた。

 

勿論、自分の生活状況が大きく変わったことについても伝えた。

(おそらく1番の原因となっている)仕事を手放したという選択に意味があったのか、それは知りたかったが上手く質問できなかった。

意味があると言ってもらいたかったのが本音だ。結局はこれすらもわからないままで、早まって無駄な選択をしたという可能性もあるのだ。

 

「長い目で見ていきましょう」と言われた。

 

脳の不随意運動(これは確かに診断されている症状)は精神的なことにも大きく起因するとのこと。

 

そうですか……

 

無理だよ。

 

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外に出ることが嫌になった。開き直るときは開き直るけども、おかしな歩き方をしている自分が嫌だし、それを見られたくないと心の底で思っている。

横になることが増えた。これが1番楽なのだ。あまり寝ていると今度は腰が痛んでくるけど…

 

家にいれば症状はほぼ気にならない。ガクガクと首が動くことはない。

ただ、たまに外に出れば、何か動作をすれば首の違和感はついてまわる。正面がどこかわからなくなる。自覚のあるなしに関係なく首が傾いてしまっていたのか、左側の顔と首の付け根が痛む日もある。これらは、ランドセン を飲んでいても変わらなかった。もし飲んでいなかったら、もっと症状がひどくなっていた可能性を考えることもできるが。

 

必然的に体力が落ちた。少しのことで心身疲れ果てるようになった。それが理由で外に出ないし横になるし、悪循環だ。

でもそうせざるを得ないし、そうしたくてやっている。

運動の難しさを痛感している。やってみろよ?ろくに正面を向けない状態で。

 

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私は俗に言う子供部屋おばさんだ。

母と私の2人で暮らしている。

 

5月には必死で働く母親のそばで私は無職になる。

 

 

 

なんで私なんだ。

 

病気や不調は誰にでも起こることなんだと、前記事でも触れた通り、痛感しているところである。

 

そうじゃない、客観的に考えて私ではなくて倒れてしまうのはもっと大変な思いをしている母親の方だろう。何故私の方がこうなってしまうのだ。

 

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膵臓がんになって動けなくなった父の介護、父の死後の山のような手続き、また、同じタイミングで母方の祖母(一人暮らし)が大怪我をし、回復後も自分で生活していくことが難しくなり週1ではあるが祖母宅へ行って家事を行なう…

※母方の祖母については先日最寄りの施設に入所し、無事に引っ越しも終えた。

 

これら全て、母親が中心となり、キーパーソンとなり行なってきた。

母親も職についていた。だから仕事の合間を縫って休む間もなく頑張っていた。

 

せめて私は母の側にいようと努めた。特に、母1人で抱え込まず、私も情報の共有ができたら良いのかなと思った。

 

それだけ。結局私は何もしていない。

母の側をついて周る、金魚のフンみたいなものだ。

 

前記事に書いた通り、仕事はきつかった。だけど、なんで母よりうんと若い、働き盛りの金魚のフンが先にダウンしているのか。

 

情けなくてやりきれない…。

 

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母はこんな体たらくの私を一切責めず、「休め」と言ってくれている。母こそ休めていないのに。

 

でも正直言って…「5月には無職」と堂々と前述してしまっている通り、仕事を探す気が全く起きない。

 

今こんな状態の私に、一体何ができるのか。

仕事…職種の想像も何もできないまでも、またひどい症状が出てしまうのではないか。

 

真っ暗になる。何も考えられない。

お言葉に甘えて、今は「働くこと」から逃げている。

 

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私は無限の時間を得た。

どれだけ体調が悪くても、重い身体を引きずって働いていた頃の私が強く望んでいたものだ。

 

休みたい。

生理のときくらい、寝たい。

めまいがするのに、力仕事をしたくない。

 

全ての願いは呆気なく叶った。

 

しかしまあ…家にいる私は無気力だ。

何せ無限の時間を得たのだ。気になっていたゲームを買ってやればいい。

漫画を読み返す時間もある。

 

時間はある。けど、どれもできていない。

全く気持ちが向いてくれない。

Blu-rayレコーダーには、山のようなSUPER EIGHTの録画。そもそも山のような…ライブコンサートBlu-ray

 

何も、一生見ない、一生やらないと決めつけているわけではないけど、忙しさが理由でできていなかったものたちが時間ができたら触れられるかと言えばそうではない。

(今も忙しく死ぬ気で働いていて時間も余裕もない方々に、怒られそうだなー)

 

できることをしたいという気持ちはある。

しかしそれ以上の眠気もある。

 

ポイ活とSNSのチェックに時間の大半を費やし、お粗末な量の家事をやり、そこで元気が残っていたら趣味の原稿作業をやる…そんな毎日だ。

これはあくまで一歩も外に出なかった日のパターンだ。外出なんてした日には…………

 

こんなんで、私は再び働くことはできるのか?

できるかどうかじゃなくて、やらざるを得ない日は絶対に来る。その時に考えるほかないだろうが…

 

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死んでしまえば、問題は全部解決するのに。

悩むことなくなるのに。

 

希死念慮は長年の付き合いだし、今は心の中の友達のような存在だと思っている。

だから居ても良いけど、あんまり外には出てきてほしくない。

 

しかし今日は厄介だった。ちょっとやそっとの昼寝では引っ込んでくれなかった。

 

じゃあしょうがないと…思考の内容は自分で上手くコントロールできるものでもないけど、ずっと死にたいことについて考えた。するとひとつの発見、自分でわかっていなかったことの答えを得られたのだ。

同時に、絶対に解決しないこともわかった。

 

死にたいと思うことは悪くない。思うくらい自由にさせてほしい。これが私の「当たり前」だから。

 

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休むってなんだろう?

4月に入ってから、充分すぎるほど横になった。横になって、今日みたいに考え事をするのもぶっちゃけしんどすぎるけど有意義だ。

 

休むって……?

 

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会いたい人がいる。

リアル友達、ネットの友達、いとこ、懐かしの友達…私が大好きな人たち。

 

私には時間があるから、会いたい、話したい欲求は大きくなるばかり。

でも私に時間ができただけでみんな忙しい。私の周りの人に関しては本当に忙しい上にみんな遠方に住んでいる。

 

そもそも、私の「つらい死にたい助けて!」を延々と聞かされる身を想像したら、貴重な時間が削られて可哀想だなと思う。

だから、物好きな人しか立ち寄らないだろうこの場所に書かせてもらっている。(記事を読もうという意思のある人だけが読むはずだから)

 

それでも、もしも会いたい人に会うという願いが叶うときが来たなら、それは心から「生きていて良かった」と思える瞬間だろう。

 

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明日も起きて、やることがある。

おやすみなさい。