右向け右、向きたくなくても右、②

前記事→

https://kibunsonouchi.hatenablog.com/entry/2024/03/21/203656

 

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前回の受診でランドセン を処方されて3週間……

 

飲み続けている最中に思った。「3週間って長くない…?」

用法をきちんと守り飲み続けた結果として、効果は感じられなかった。症状が抑えられてると実感できたのは本当に最初だけ。その代わりと言ったらなんだが、副作用も1週間経った頃からか気にならなくなっていた。

飲んでる意味?と笑ってしまいたくなるくらい、首は傾いた。

 

もちろん、前回の記事で触れた時期に比べれば、長い目で見ればかなり楽になったと言える。

 

でも、私はもう耐えられなかった。薬を飲んでも、副作用の眠気に耐えても仕事をすれば襲ってくる首の痛みと吐き気。

 

退職を決意した。

 

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ちょうど薬を飲んで1週間が経ったときに仕事に限界を感じて、状況を何とか変えたいと強く思った。すぐに週末に時間を作って頂き、社長夫婦に辞めたい意思を伝えた。そこから話は早かった。

 

体調が理由での退職について快諾して頂けた上に、なんと4月いっぱいは有給休暇にして頂けた。(本当にありがたいと思っています。)

 

この時点で3月が残り1週間あったため、これは私の要望で半ドンで働かせてもらうことにした。

 

その時にできるアクションとして、良いプロセスを踏めたと我ながら思う。

 

こうして私は不調の苦しみから徐々に解放されて、大好きだった仕事を自らの手で失うことになった。

 

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私が知りたかったのは2つ、

・この症状をもたらすものの病名

・これは果たして「治る」ものなのか

 

今日、脳神経内科の先生に経過を話すとともにこの2点についても質問した。

・病名はわからない(私のケースは判断が難しいと改めて言われた)

・治らない。今できることは対処療法。

 

あくまでこれも選択肢のひとつ…として、ランドセン の量が倍に増えた。

なにせ、反対に服用をやめる選択肢も提案されたのだ。

 

症状はあるのだから、量を増やす方に私は同意した。

 

わからない…前述の通り長い付き合いは必然で、正解をすぐに当てるのは難しいのだと現実を突き付けられた。

 

勿論、自分の生活状況が大きく変わったことについても伝えた。

(おそらく1番の原因となっている)仕事を手放したという選択に意味があったのか、それは知りたかったが上手く質問できなかった。

意味があると言ってもらいたかったのが本音だ。結局はこれすらもわからないままで、早まって無駄な選択をしたという可能性もあるのだ。

 

「長い目で見ていきましょう」と言われた。

 

脳の不随意運動(これは確かに診断されている症状)は精神的なことにも大きく起因するとのこと。

 

そうですか……

 

無理だよ。

 

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外に出ることが嫌になった。開き直るときは開き直るけども、おかしな歩き方をしている自分が嫌だし、それを見られたくないと心の底で思っている。

横になることが増えた。これが1番楽なのだ。あまり寝ていると今度は腰が痛んでくるけど…

 

家にいれば症状はほぼ気にならない。ガクガクと首が動くことはない。

ただ、たまに外に出れば、何か動作をすれば首の違和感はついてまわる。正面がどこかわからなくなる。自覚のあるなしに関係なく首が傾いてしまっていたのか、左側の顔と首の付け根が痛む日もある。これらは、ランドセン を飲んでいても変わらなかった。もし飲んでいなかったら、もっと症状がひどくなっていた可能性を考えることもできるが。

 

必然的に体力が落ちた。少しのことで心身疲れ果てるようになった。それが理由で外に出ないし横になるし、悪循環だ。

でもそうせざるを得ないし、そうしたくてやっている。

運動の難しさを痛感している。やってみろよ?ろくに正面を向けない状態で。

 

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私は俗に言う子供部屋おばさんだ。

母と私の2人で暮らしている。

 

5月には必死で働く母親のそばで私は無職になる。

 

 

 

なんで私なんだ。

 

病気や不調は誰にでも起こることなんだと、前記事でも触れた通り、痛感しているところである。

 

そうじゃない、客観的に考えて私ではなくて倒れてしまうのはもっと大変な思いをしている母親の方だろう。何故私の方がこうなってしまうのだ。

 

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膵臓がんになって動けなくなった父の介護、父の死後の山のような手続き、また、同じタイミングで母方の祖母(一人暮らし)が大怪我をし、回復後も自分で生活していくことが難しくなり週1ではあるが祖母宅へ行って家事を行なう…

※母方の祖母については先日最寄りの施設に入所し、無事に引っ越しも終えた。

 

これら全て、母親が中心となり、キーパーソンとなり行なってきた。

母親も職についていた。だから仕事の合間を縫って休む間もなく頑張っていた。

 

せめて私は母の側にいようと努めた。特に、母1人で抱え込まず、私も情報の共有ができたら良いのかなと思った。

 

それだけ。結局私は何もしていない。

母の側をついて周る、金魚のフンみたいなものだ。

 

前記事に書いた通り、仕事はきつかった。だけど、なんで母よりうんと若い、働き盛りの金魚のフンが先にダウンしているのか。

 

情けなくてやりきれない…。

 

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母はこんな体たらくの私を一切責めず、「休め」と言ってくれている。母こそ休めていないのに。

 

でも正直言って…「5月には無職」と堂々と前述してしまっている通り、仕事を探す気が全く起きない。

 

今こんな状態の私に、一体何ができるのか。

仕事…職種の想像も何もできないまでも、またひどい症状が出てしまうのではないか。

 

真っ暗になる。何も考えられない。

お言葉に甘えて、今は「働くこと」から逃げている。

 

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私は無限の時間を得た。

どれだけ体調が悪くても、重い身体を引きずって働いていた頃の私が強く望んでいたものだ。

 

休みたい。

生理のときくらい、寝たい。

めまいがするのに、力仕事をしたくない。

 

全ての願いは呆気なく叶った。

 

しかしまあ…家にいる私は無気力だ。

何せ無限の時間を得たのだ。気になっていたゲームを買ってやればいい。

漫画を読み返す時間もある。

 

時間はある。けど、どれもできていない。

全く気持ちが向いてくれない。

Blu-rayレコーダーには、山のようなSUPER EIGHTの録画。そもそも山のような…ライブコンサートBlu-ray

 

何も、一生見ない、一生やらないと決めつけているわけではないけど、忙しさが理由でできていなかったものたちが時間ができたら触れられるかと言えばそうではない。

(今も忙しく死ぬ気で働いていて時間も余裕もない方々に、怒られそうだなー)

 

できることをしたいという気持ちはある。

しかしそれ以上の眠気もある。

 

ポイ活とSNSのチェックに時間の大半を費やし、お粗末な量の家事をやり、そこで元気が残っていたら趣味の原稿作業をやる…そんな毎日だ。

これはあくまで一歩も外に出なかった日のパターンだ。外出なんてした日には…………

 

こんなんで、私は再び働くことはできるのか?

できるかどうかじゃなくて、やらざるを得ない日は絶対に来る。その時に考えるほかないだろうが…

 

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死んでしまえば、問題は全部解決するのに。

悩むことなくなるのに。

 

希死念慮は長年の付き合いだし、今は心の中の友達のような存在だと思っている。

だから居ても良いけど、あんまり外には出てきてほしくない。

 

しかし今日は厄介だった。ちょっとやそっとの昼寝では引っ込んでくれなかった。

 

じゃあしょうがないと…思考の内容は自分で上手くコントロールできるものでもないけど、ずっと死にたいことについて考えた。するとひとつの発見、自分でわかっていなかったことの答えを得られたのだ。

同時に、絶対に解決しないこともわかった。

 

死にたいと思うことは悪くない。思うくらい自由にさせてほしい。これが私の「当たり前」だから。

 

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休むってなんだろう?

4月に入ってから、充分すぎるほど横になった。横になって、今日みたいに考え事をするのもぶっちゃけしんどすぎるけど有意義だ。

 

休むって……?

 

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会いたい人がいる。

リアル友達、ネットの友達、いとこ、懐かしの友達…私が大好きな人たち。

 

私には時間があるから、会いたい、話したい欲求は大きくなるばかり。

でも私に時間ができただけでみんな忙しい。私の周りの人に関しては本当に忙しい上にみんな遠方に住んでいる。

 

そもそも、私の「つらい死にたい助けて!」を延々と聞かされる身を想像したら、貴重な時間が削られて可哀想だなと思う。

だから、物好きな人しか立ち寄らないだろうこの場所に書かせてもらっている。(記事を読もうという意思のある人だけが読むはずだから)

 

それでも、もしも会いたい人に会うという願いが叶うときが来たなら、それは心から「生きていて良かった」と思える瞬間だろう。

 

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明日も起きて、やることがある。

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右向け右、向きたくなくても右、

診断名はついていない。

不確定でわからないことだらけで的を得ない話ばかりになることをご了承願いたい。

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◎首の異変

 

長い正月休みが明けて、工場のいつもの場所でいつもの機械を動かし仕事を始めていった。それからのことだった。

 

仕事をしていると、首が勝手に右を向いてしまう。

 

文字の通り、気づいたら右を向いている。その都度然るべき位置に、正面に首を戻そうとする。それでも勝手に右を向くように首が動く。

 

何が起こっているかわからなかったし、常に違和感があるし、自分の身体ながら気味が悪い。

…違和感、気味が悪い、それだけで済めば正直言って大した問題には見えないかもしれないね。しかし勿論そうはいかない。

 

首が動くあまり、今まさに作業をしている対象の物からも視点が外れていく。目の前の、手先が見えなくなっていってしまうほど首は右を向きたがる。その都度戻す、また動く、その繰り返しだった。とても仕事になりやしない。

 

更に、首の動きによって身体の二次的な不調も起こっていった。首が常に一方向に動くことで顔と首の付け根が片方だけ痛んだ。また、首の動きを抑制すべく首肩ともに常に力が入る。これまでになかなか経験したことのない凝りや痛みが出た。

また、意識されたものではない動きによって、車酔いに近い感覚なのだろうか?それとも首凝り由来なのか?いずれにしても気持ち悪くなってしまいひどいときは吐き気を感じた。

とにかく、シンプルに体調不良である。ここまでひどくならない日があろうとも、当たり前に仕事をこなしているだけで体力気力ともに激しく消耗してしまう毎日だった。

 

 

また右を向いている。正面を向きたい…正面ってどこなんだろう…?

普段から正面がどこなのかなんて意識することはない。少なくとも私はそうだった。このことによる弊害は仕事で手を動かす時に限らない。歩く時にも違和感が伴う。真っ直ぐ歩こうにも顔が傾く。角を曲がろうとしたときなんか首がこれでもかと傾く。それに関連してなのか、引き戸を引くことの難しさよ。日常の動作のほぼ全てに違和感があった。

首がおかしくなっても、ひとまず車に乗ってしまえば症状は落ち着いた。片道50分弱の癒しタイムである。しかし、調子の悪いときは運転時ですら違和感を覚えた。前が見えない!などという実害的なものではなく、自分が正面を向けているのかわからなくなるのだ。そして、どちらかといえば「この先本当に真正面を向くことができなくなったら…?」という不安が大きかった。

 

 

症状には波があった。特に、運転時にまで違和感があった日というのはごく少ないし今はそういうことはなく過ごせている。首や肩の凝りを感じずに過ごせる日も、ひどく痛めてしまう日もある。少なくとも共通して言えることは

 

・しっかり寝ると治る

・寝ると治るので、朝は調子が良い。日が進むにつれて悪くなる。

・寒いと首肩の凝りに拍車がかかる(職場が極端に寒い日がある。室温が10℃を切っている中で作業することもしばしば)

・じっと座ったり、寝たり、安静にしていれば首は勝手に動かない→一定の動作、同じ動作の繰り返しがトリガーになることが多い

・家の中だと安静にしていることが多いからか違和感や症状は少ない

 

といった具合だ。ちなみに趣味の原稿作業もほぼ問題なくできている(問題があるほど集中してやれていないだけかもしれない)

 

 

◎GO GO病院

 

不調については上記の通りだが意外と難儀するものだ。動けないわけじゃないんだからマシ、と考えようにも実際はけっこうしんどいものだ。ということでいくつか病院にも行ってみた。まず年明けに症状が出てすぐに整形外科と眼科に行った。

整形外科でレントゲンを撮ってもらうも異常は無し。ここで「利き目」についての話をされる。

次に眼科で診てもらうもこちらでも異常は無し。そして何故かコンタクトの度数を緩めることに。なんでも、「見えすぎている」のだそう。この先目が悪くなることしかないと思っていたのでこれには驚いた。

 

核心に辿り着かない。そりゃそうだ。自分が本当にかかるべきなのは…わかってはいたんだけどなかなか勇気が出なかったのだ。

 

2月になった。決定的な出来事があった。

今まで当たり前にこなしていた仕事ができなかったのだ。やる気は充分だった。体力もあった。腕と手首〜手先?言葉にするのが難しいけど力のいる仕事だった。決して力任せではない、ひ弱(←)な私でもできるんだからな。しかし、これが不思議と首が正面を向けないだけでちっともできないのだ。

これまではものが見づらいとか時間がかかるとか…そんなことを誤魔化し誤魔化しやってきたけど、いよいよ駄目だと思った。そもそも誤魔化している時点でなんだけど、できたはずのことができないのが悔しいし情けない。

 

覚悟が決まった。

神経内科に予約を入れた。

 

 

◎GO GO脳神経内科

 

自覚している症状を検索すればそれっぽい病名は出てくる。今現在それに苦しんでいる方々には申し訳ないけど、率直に、怖いと感じた。原因や病名がわかればスッキリはするけど、どうか自分がその病気ではないことを必死に願った。

 

神経内科にかかる前日は症状がひどく、車の運転にも不安を覚えるほどだった(勿論何事もなく帰宅した)。それが不思議と受診当日になると症状はピタリと治まった。…理由はわからないけど、自分でもそんな予感はしていた。私というのはうまくいかない人間なのだ。

 

しかし脳神経内科の先生は親切で、初診でとったデータをベースにしていくから今回の受診も決して無駄ではない旨を伝えてくれた。ありがたかった。

そしていわゆる「脳神経検査」をした。YouTubeのASMRロールプレイでよくあるやつだ!と内心感動してしまった。

結果は…異常無し。

先生は難しい…と言っていた。ここで症状が出ているときの写真や動画の有無を尋ねられた。その発想に至らず、私は何の準備もしていなかった。やっぱり、症状が出ていない以上は診察が難しいとのこと。役に立てなくて申し訳ない旨を伝えられた。申し訳ないのはこちらの方だ…。でも、また困ったときにかかることができる。ありがたい収穫だった。

 

 

◎きっと私はこうなんだ

 

症状が出始めて何ヶ月も経つ。結局のところ何もせずに放置する日々だった。

相変わらず症状には波があったが、2月の半ばに脳神経内科を受信して以来、多かれ少なかれ毎日違和感を感じるようになった。仕事や生活に支障が出るかといえばマチマチだが、首は傾くし歩きづらかった。

それでも確実に言えることは、症状の出始めた年明けや2月前半と比べたらトータルで大分マシだということ。首の動きはある程度制御ができるようになったので対象物から視点が外れることはないし、吐き気を催すなど具合が悪くなることも激減した。いい加減、このおかしな状態に慣れてしまったのだろうか?だったとしてもこの時自分は「ゆるやかにでも症状は改善している」と思った。いや、思い込んだ。

 

人生は長いんだ、だからもしかしたら緩やかに、治っていくのかもしれない。そして、後から笑い話にでもすれば良いんだ…

だから急に治らなくても仕方ない、ゆっくりやればいい(許される限り…何せ100%のパフォーマンスで仕事ができていないままズルズル過ごしているため)

 

治ることが1番だけど、私個人としては「克服」することを望んでいた。へんな身体でも、うまく付き合っていけたら良いのかな…などと。

考える時間がとにかく沢山あったし、自分の気持ちの持って行き方次第だと思っていた。しかし、それもそう上手くはいかない。

 

しかし3月も半ばになった頃、またもひどく具合が悪くなってしまった。首の動きは止まらないし。吐き気がする。歩くこともつらい…。1日いっぱい同じ機械を動かしてずっと同じ作業をしたせいだろうか。

 

やっぱりダメだ。同時に、限界だと思った。自分はこの身体でやっていくのかと漠然と考えてみていたものの、やっぱりおかしいんだ。そもそも普通だったら首は勝手に動いたりしないんだ。

おまけに関係あるのかはわからないけどこの時2週間ほど「毎日」37℃を越す(37.5℃は下回る)熱を出していた。これは日によるがしっかりと寒気と怠さもあった。1日休んだところで治る保証がないという理由で身体を押してフルタイムで出勤をした。無理をすることが自分の標準になっていた。あくまで、私が望んでやっていたことだ。

 

勇気を出して、後輩に仕事中の動画の撮影をお願いした。自分の首がガタガタ動いてるところをマジマジと見られるのなんて嫌だったし、繁忙期である今、頼むタイミングも難しかった。

後輩は余計なことは何も言わずに、1分を越す動画を撮ってくれていた。

 

 

ランドセン 

 

現在服用している薬である。あの後すぐに脳神経内科の先生に動画を見せた。診断名こそ出なかったけど、すぐに薬が処方された。自分にはおかしな症状が出ているんだと確信に変わった。

 

薬を飲み始めて数日、効いてくれているんじゃないかと思う。薬を飲んで初めて出勤した日は首のことを忘れて1日を過ごすことができた。こんなことは久しぶりで本当に嬉しかった。

今のところは違和感が0じゃない日があれど、全体を通して楽になっているのを感じている。

というのも束の間、例の機械作業をすれば首がガタガタ動く…何のための薬か?飲まなければもっとひどいことになっている可能性を考えたら無駄ではないのかもしれないけど、今のところ何とも言えない。正直ガッカリしている。

 

そしてネックは副作用だ。これは最初から先生からも薬剤師からも言われていた、「眠気」だ。

私に至っては元々常に眠たい人間だし、季節は春めいているし、因果のほどはわからないけど、現状、なかなかつらいものがある。むしろ眠気の方が日に日に強くなっている気がする。

 

いずれにしても飲み始めてまだ数日なのだからまだまだ様子を見るしかない。次の通院のときにしっかり伝えるためにこれらは逐一記録している。じっくりと長い戦いになりそうである…。

 

 

◎思い当たる節

 

いくらでもある。うんざりするくらいある。

 

直接のきっかけになったと思えるのは、普段仕事で使っている機械(冒頭でも触れたもの)の調子がおかしいまま無理をして使い続けたこと。→こちらの身体に大きな負担がかかり、毎日のことなので積もり積もっていった。

 

他には…

・過密すぎるスケジュール(in製造現場)

・常に欠員状態

・周りのスタッフが全員歳下で精神的に甘えられる人間がいない→具体的に言うと、「具合が悪い」の一言すら言いづらい。元気なフリをして仕事をせざるを得ない。何なら私が後輩に指示を出さねば始まらない。ぐったりしている場合じゃない。

・上記のような状態なのでなかなか休めない(こっちの気持ち次第なんだろうが)

 

などなど職場で抱えている問題はこんな感じ…。今に始まったことではないことも多々あるので何とも言えないが。

 

少なくとも、身にしみて感じていることは

人間いつ身体がおかしくなるかなんてわからないということだ。

 

病気も不調も色々ある。周りでそうなってる人はこれまで沢山見てきた。去年の夏に父親は膵臓癌で死んだ。

その度に、いつも他人事に感じていた。自分は健康だけが取り柄だとすら思っていた。

1日仕事をするだけで必死でズタボロな今は見る影もないが…。

 

人生ってわからないもんですね(こなみかん)

 

気が向いたら続く…(正直言って続きたくない)

 

 

『少女都市からの呼び声』を観た

 

※否定的な感想です。それでも良い方だけ読んでください。

※こんなのでもネタバレを含むかもしれないし、観劇予定のある方は絶対に読まないで!(自分の感想を持ってほしい)

 

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わけがわからなかったけど、音楽や映像?は異空間として美しく、不思議と居心地の良い世界だったと思う。

 

それは、これらの無数のわからない要素たちがどのように帰結していくのか。

物語の帰結を望むことを諦めなかったから……

 

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わからない人たちがわからないことを言いながらそれらが何なのか決定的に表現されることはなく、「わからないまま終わった」

 

この作品の難解さについては、既に観劇された方々の反応を軽く見ていて覚悟はしていたけども…。

被害者っぽく嫌な言い方をしてしまうと、笑うことも悲しむことも、昨年の佐竹兄妹を観たときのように怒ることすらも、許されないのかと虚しくなった。

 

私情極まりないが、遠征している身としては複数回観劇して理解を深めていくことなどできないから勘弁してほしい。しかし、複数回見たとて、自力だけでは理解できないんだろうなあ。

 

かと言って「みんなに分かりやすく」ばかり意識された表現はつまらないものになる。

分かりやすさを捨て去った表現だからこそあのガラスの世界や猛吹雪は美しかったと思う…。

 

 

それにしても、今私の心の中には何も残っていない。

大きく2つ、残念に思ったポイントがある。

 

 

①登場人物の思想が見えなかったこと。

 

そこがわからないのだから感情移入の仕様がなかった。ただ何となく世界観を楽しむので精一杯。

そもそもあらすじに書かれていない登場人物たちが何なのかがわからない。

断片的に表現されていったシーン、唐突に出てきた人たち、これがどう交わっていくのか希望を捨てずにワクワクした。でも、私には分からなかった。

 

オテナの塔のくだり、そもそもオペラなのかオケラなのか聞き取れなかったし、パンフを見てオマージュ元があることを初めて知ったけどそれは反則じゃないかな…?終盤のオテナの塔のアップは気持ち悪くてとても良かった。

 

あの日本兵達?は結局何?フランケンが元々いた世界なのか?あるいはフランケンが見た夢ともとれてしまったのでうーん何とも。

 

とりわけひどいなと思ってしまったのは「なんてジメジメした陽気だろう」の2人組のじいさん。かなり笑わせてはもらったけども!

唐突にジメジメ陽気シーンが挟まり、オテナの塔に言及したくらいで本筋との絡みがなかったように思う…あんまりすぎるので私の記憶違いであってほしいと思うくらい。

よく知ったキャストさん方。ダチョウ倶楽部のギャグや劇場の椅子が固いことに触れたのには大笑いしたな。ダチョウさんに関しては未だに上島さんを思い出して切ない。

これを本筋と絡まない人物たちがやる意図は???????それがわからない以上、いくらギャグが面白くとも物語の「邪魔」としか思えない。本当にわからない…その時間があるなら諸々を説明しろとは言わないけど、ガラスの世界をもっともっと見せてほしかった。

まさか、ガラスの世界の狂気を浴びた観客たちのための箸休め…?そんなわけない。あり得ない。ググります。(ググって出てくるかな?)

 

何ならメインキャラ達も何がしたいのかいまいちわからなかったもんなあ……田口が雪子をガラスの世界から連れ出したいことと、フランケンが雪子を我が物にしたいことは辛うじて。雪子は狂いすぎてるのと世間離れの域を超えててよくわからない。というかフランケンと雪子はどうして出逢ったわけ?

 

そして頼みの綱の、現実世界の登場人物たち…有沢やびんこが話を纏めてくれるかと期待した私が馬鹿だった。特に有沢の歯切れの悪さはストレスだった。せめて「なんだこれは!わからない」と観客の気持ちの代弁くらいできなかったものか。

こうして考えると観客側の登場人物なんていないんだよなあ。だからひたすら置いていかれる。あ、もしかしてそれがジメジメ陽気じいさん達?だったとしてその役割は果たせていない。

 

 

②オチ及び終盤がほぼ全て分からなかったこと

 

物語が帰結される表現を「期待してしまった」ところだ。帰結はしたのだ、しかし重要なところが全然理解できなかった。雪子と田口は最終的にどうなったの???識者の力を借りたい。後でググろう ←

最後さえ分かれば、後から遡って途中途中の表現の意味や意図を考えられる。それを楽しみにしていたけど、私が甘かったんだね。

田口は近しい人も友達もいないと言われていたね。(有沢は歯切れ悪すぎて謎。)だから誰1人田口達の代弁者がいない。

 

現実世界よりガラス(夢?)の世界の方がわかりやすかったってどういうこと!?

 

幕が閉じた後、後ろのお客さんが大量に落ちてきたビー玉を「パチンコのフィーバー」と例えていたのは秀逸すぎて笑った(聞かさったんですごめんなさい…笑)

 

 

これを読んだ人がいるなら私の理解力の無さを笑ってください。理解しようとしなければそこで終わってしまう。でもこれは既にある考察なり他者の力を借りざるを得ない。

ただ、世界観を堪能した。それだけ。

 

細かいことを言うなら女性の表現が全体的に下品に思えて、若干だけど気分の良いものに感じなかった。別に女性を蔑んだって良い、しかしどうせやるならもっとハッキリとやってほしいと思ってしまう。

フランケンの食事シーン(これ自体も何なのか分からんが)、取り巻きの女達の衣装は生理用ナプキンかい?「月に一度のお祭り」と連呼していたし。

生理は別に良い。生理だったとしてとにかく、取り巻きの女達が馬鹿っぽすぎて。音楽やダンスなど表現はもちろんすごいし魅入ったけども、演出にほんの少しの悪意や違和感を感じた。

 

それと指の切断シーン…個人的に楽しみにしていたところ。もっともっと痛々しくしてほしかった。双眼鏡を使って見たけども、これ肉眼だったら本当にあっさり。

指の切断って地味に思われてる?信じられないくらい痛いんだよ。過去に左手の薬指の先をほんの5ミリ削ってしまったことがあるけど、この世のものと思えない痛さだったことを今でも覚えてる。

演技がどうこうではない。安田さんの痛がる声を聞けたのは至福極まりなかったけど…正直こんなもんか〜という感じ。

今にして思えばこのあっさりさが終盤への伏線だった?あれだけやっといて田口の指は全て残っていたんだよね。あっさりとしていた。その肝心の終盤が意味わからなくて悲しいけれど。

 

大声や大きい音を出しておけば物語を進めたり纏めたりできると思ってる?キャストさん方の迫真の演技も萎える。

 

演者さんや音楽が素晴らしかったのは言うまでもない。背景やモチーフについては…今の汲み取れないものも多く何とも言えない。あんまり意味だ意図だと追求ばかりするのも無粋なんだろうか。

咲妃みゆさんの存在感、美しさ、まさにガラスのような儚さ…すごく素敵だった。

桑原裕子さん…大好き笑笑 忘れ歌と閃光ばなしに続いてお姿を拝見できて嬉しい。

みいつけた!が好きなので、三宅マンも生で観られて嬉しかった。作品の話と外れるけど、ツイートを拝見して、奥様を亡くされたとのことで。他人事とは思えないところがあったのもあり。

安田さんの演技、改めて振り返ると重々しくてすごく良かった。あの低い笑い声…素敵だなあ。何せ田口という人物が掴めないんだけど、「重かった」印象。

 

カーテンコールの安田さん、笑ってなかったなあ。

 

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この記事内だけで、私はいくつ「分からない」と書いただろう。

 

芸術作品を堪能する際には心身のコンディションを整えて、余裕やゆとりを持って。改めてそう認識させられました。

 

難しいよ、今の私には。

 

せっかく観たのだから、観ることができたのだから、いつになろうとも今後の糧にできれば儲けものだ。

 

 

 

 

 

 

『忘れてもらえないの歌』を振り返る

先日、歴代の手帳を整理していたら、『忘れてもらえないの歌』のけっこうな量の観劇メモを発掘した。2019年当時既にブログを開設していたのできっと記事にするつもりで一生懸命書いたのだろう。

かれこれ3年経った今、記事にします…笑

 

※誤字や語順等細かいところは直しますが、当時の手帳に書いてあることを「そのまま」載せます。

 

 

 

○印象に残っている言葉

・「心が空っぽになると殴られても痛くない」

・「いつまで戦争と比べていなきゃいけないのか」

・「『死ぬよりマシだ』は本当に生きているのか」

 

 

○鬱展開

・あの苦しいEDから…バツン!と暗転したのが良かった。それくらい理不尽なのが良い。

・登場人物全員が正しい。でも、全員間違っている。明確な悪者がいない。ラストの解体業者だって生きる為に仕事をこなしているだけ。だから辛い。

・全てにおいてベストアンサーを導き出せない。彼らは意志のある人間であり、その趣くままに生きられる時代ではなかったから。

・死ぬよりも辛いこと。それでも死なないのは、生きられる保証がないから。

 

 

○あまりにも救いのない物語

・前半パートの高まっていく盛り上がりからの後半の徐々に下落していく動きが良い。下落の仕方が急ではない。段階を踏んで確実に。ある部分からもう救われるルートはない。落ちていくだけだとどこか諦めた気持ちで観てしまった。急に絶望に突き落とされる展開よりよっぽど残酷だ。

・観劇前と後で、イメージポスターの持つ印象がガラリと変わる。

・背景の演出が良かった。3時間30分にあれだけの情報が詰め込まれるってスゴイ。背景が作り出した雰囲気と、説明的になりすぎずに情報を投下してくれた役割は大きい。

・背景はその時代の東京の表立った部分。メディアに取り上げられ、教科書にも載るような。

・滝野の守ろうとしたものが無情に壊されていくことと裏腹に、東京が栄え、東京タワーまで完成している。対比が心にトドメを刺すような皮肉で良かった。

・滝野達のような出来事や人生は人知れずごまんとあったのだろう。

 

 

○麻子

・デパート屋上での「売春婦だから〜」のシーン、劇中で最も辛かった。

・ただの哀れみは人を傷つけるだけ。どんな人にも当たり前に尊厳があることを痛感させられた。

・女の弱さを表現したいあまり、「女」というものが美化されているのは個人的に好みじゃない。ある意味で淡々とその時代のその境遇の「女」「男」を描いていた印象。

・木竜麻生気になる…素晴らしい存在感。

 

 

○滝野亘がオソロシイ

・最後まで腹の内がよく分からなかった…はずだったのだが。

・滝野が本当にやりたかったことって??彼は目標のために自分を殺す、ある種の「強さ」を持った人。だからイナリが見た夢の滝野はあんなよく分からん床屋のイメージに??(←側にいる人ですら彼の心の内を読み取れない。)

・あの乾いた笑いがトラウマになりそう。滝野は辛い目に遭った時ほど「笑う」から。

・あまりにも弱音を吐かない!

・ED中に彼が流した涙は本物だろう…楽しみにしていた書き下ろし曲なのに、辛すぎて頭に入ってこなかった(あたしってほんとバカ)

 

 

安田章大

・背中。肩幅が立派なのでしっかりした背中だと思った。でも大きな背中と思っていたら、途端に小さく、あまりにも小さな背中と思えたシーンもあった。劇中の無力感はヤスくんだから出せたものでは。

・建物が壊される中1人歌うシーン(ED)!ただただ「美しい」と1番に思った。美しさに気づいたら涙が出ていた。と思ったら滝野も泣いていて絞り出すように歌っていた。演技と分かっていてもヤスくんがあんなに辛そうに背中を丸めて歌っている姿は見ていて胸が張り裂ける思いだった。

・何だって生きるのヘタクソな幸の薄い役がハマってしまうのか。改めて、彼の出す空気感がフシギ。

・身体の芯に染み渡り、温めてくれる歌声が好き。

・CDやTVよりも、生で聴けることに喜びを感じる。

・口や顔で喋るのではない、全身で喋っている。その上で表情か豊か。

・変幻自在。今までに見てきたどのヤスくんも素敵だし、これからどうなっていくのか全く予想もつかなくて楽しみ。

・表現したいものを表現できること、ヤスくんにとっての幸せなことが沢山起こることを微力ながら祈っている。

当時のメモは以上になります。

久しぶりに振り返ってみて、改めて今も頷けるものばかり。流石に言葉の端端までは忘れてしまっていたものも、メモを見ると鮮やかに記憶が蘇ってくる。最初に書いた、名言なんて特に。

突き詰められた「つらさ」のある作品だったよね。

 

実のところ、当時はこの作品について記事にしたくてもできなかったのだと思う。つらさがキャパを超えて、目を背けて蓋をしてしまったのだと思う。ふんわりと表面的に思い出すことはしても、詳細を掘り下げて感想を書くことから逃げてしまっていた。

何せ観劇後の私と言えば…狂ったように泣き続けた。EDでひとしきり泣いで退場した後、劇場近くのお店にお土産を買いに行った際も涙が溢れ出てしまって。誰も見ちゃいないとは思うけど、さぞかし変な人だったであろう。それに飽き足らず、観劇から2日経って空港の搭乗待合室で座っていた際にも大量の涙が溢れ出て止まらなくなった。泣きたくて泣いているわけじゃない。ちょっとやそっとの時間が解決してくれないくらいの衝撃とつらさだったのだ。

何がそんなにつらいかって…メモにも書いていた、デパート屋上の麻子とEDの滝野亘だ。この2シーンは今に至るまで何度も頭に浮かび思い出された。麻子の去り際の叫ぶような歌声は今でも覚えている。歌いながらしゃくり上げる滝野の姿も……。

この作品のこういうところを教訓にして〜とか、この作品から元気をもらって糧にして〜とか、そういう次元ではない。

忘れられるものか。

 

 

タイトルの「忘れてもらえない」という言葉。耳馴染みがなく、ちゃんと覚えられるまで私は少々時間を要した。観劇するまでは、なんだか切ない雰囲気の言葉だ〜くらいにしか思っていなかった。

作品を通してその言葉の意味を理解する。良い音楽を、良いものを作ってもそれを世に出す機会すら得られない。人々に知ってもらうことができなければ忘れてもらうことすらもできない…。

ものを作る上での「売れない」という概念は分かる。しかし、そのスタートラインにすら立つことができない人達がいたのだ。違う、本来はそのスタートラインに立つこと自体が当たり前ではなく難しいことだったのだ。作品を通して、まさに弱肉強食な戦後の昭和の厳しさを痛感させられた。しかし、それは決して過去の話なんかではない。

 

コロナ。行動制限。感染拡大。

日の目を見ることがなく、人々に忘れてもらうことさえ叶わないエンタメ作品がたくさん出てしまった。勿論、私はそれらのほんの少しも把握しきれていないだろう…。

これは『閃光ばなし』のパンフレット内の福原さんと安田さんの対談の中で触れられている。むしろ福原さんが「(忘れ歌の後)こんなに"忘れてもらえない舞台"がいっぱい出てくるとは思わなかった」とおっしゃっているのを見て、ハッと気付かされた具合だ。もちろん戦後の昭和とは全く違えど、今も今でいかに厳しく悲しい時代なのかと胸が痛くなった。

『閃光ばなし』も、あと少しのところで大千穐楽が中止になった。演者さんやスタッフさん達、作り手の悔しさや無念は計り知れず、下手に想像することができない。その大千穐楽に全てをかけて、観劇予定だった人たちにとっては『閃光ばなし』は忘れてもらえない舞台になってしまったわけだ。悲しすぎる。誰も悪くないのだから。

これは個人の考えだけど、世間的に「元の生活に戻ろうよ」とコロナ対策の存在感が薄れていく中、大千穐楽の中止という大きな決断をしたことは英断だと思っている。感染対策のガイドラインにしてもとてもしっかりとしていて、劇場内ではある程度の信頼感を持って臨めた。

それだけ、コロナによる混乱でエンタメ業界への風当たりが強かったことを想像すると胸が痛くなるし、せめて心の中だけでも応援したい気持ちが強くなる。

 

 

観劇後、劇場内を退場中に近くの女の子達の会話が耳に入った。「とにかくヤスくんには幸せに歌っていてほしいよ」と。勝手に激しく頷いた(心の中で)。

何を隠そう、2019年秋…錦戸亮ちゃんが関ジャニ∞を脱退し、ジャニーズを退所してまだ随分と日が浅かった。コロナ前とは言え、ファンにとっては正直心穏やかではない時期だったと思う。また作品の内容が内容だっただけに…笑 そんなこと達もとても懐かしい。

 

 

衝撃的で、正直言ってトラウマで、楽しくて、悲しくて、つらくて、大好きな作品です。

『忘れてもらえないの歌』

上演から3年経った今、改めて観劇できたことに沢山の感謝をしたいです。

こうして記事にできたことも良かったと思います。

ありがとうございます!!!

 

『閃光ばなしを観た』の続き

※ネタバレあるし、とにかく先入観無しで臨んでほしいと切に思うので観劇予定のある方は回れ右してね!!!!!!!

 

前回記事(https://kibunsonouchi.hatenablog.com/entry/2022/10/15/233533)の続きになります。時間が経って気持ちがクールダウンしたら、改めてこんなんじゃ書き足りない!と思った次第です。

 

 

 

 

 

まず登場人物について。

 

 

野田中のジジイ

ジジイ、は親しみを込めたつもり…笑 愛嬌がある上に、一般市民とかけ離れた立場ながらとても分かりやすいキャラクターだったと思う。

この物語における「悪の親玉」として描かれているんだけど、私はこの野田中という男に好感を持っている。権力者であることに違いはないし人を支配する立場なんだけど、「悪」なのか?というと違和感を覚える。そりゃ川周辺の栄えてない方に住む人々からすれば絶対悪で敵に当たる。自分らを利用してのし上がろうとしているんだもの。でも私は川周辺のどん詰まりの住民ではないから、私にとっては悪ではない。犠牲があることを無視はできないが、やっていることはあくまで公共事業。側から見れば昔こういう経緯で苦労した人たちがいた上で街が発展したんですね、という史実に過ぎない。

 

「川がないなら作ろう」という発想が東京っぽいし無茶苦茶だ。でも、嫌がらせのためにそんな大変なことをするはずがない。少なくともバスのためにわざわざ川を作るはずがない。

観劇後にパンフレットを読み込んだら、新中川が人工的に作られた経緯が書かれていて「フィクションじゃないんかい!」と度肝を抜かれた。土地の性質上、やっぱり必要に駆られて作られた川だったそうだ。

確かに橋をかけなかったのは、バス会社のための明らかな嫌がらせだけど、川による分断はちょっと違うよね。

 

野田中の行為は「徹底した支配」。かなりのやり手だし、野田中の確かな行動力、実践力、特にぶれずにそれらを成せる心の強さは劇中で政子も的確に評している。繰り返すが当事者からすれば死活問題でたまったものじゃない。野田中の支配は悪の所業だ。そこに温情などない。

でも社会で働くって…そういうことじゃない?野田中レベルになると極端だし私の想像の及ばないところだけど。私に特別な地位はないけれど、仕事をしていたら大なり小なり感情を捨てなきゃいけない場面が出てくる。感情という名の心こそ余計で邪魔なものなんだと思わされる。私は製造の仕事をしているから人と接する機会は限られているし立場は下っ端。それでも、だ。野田中は「会長」という上の立場にいる。ということは、会社の社員を何人も抱えている、それだけの人の生活を預かっているわけだ。まあ…汚い金があったり、格差も存在しているし、綺麗なトップではないのだろうが、会社の発展は野田中だけが必要としていることではない。これは当事者ではなく客として、出来事を俯瞰して観ているから言えることだ。

それにもっと言うと…野田中は権力者ではあるが、更に上の立場の人間だって沢山いるはず。登場しなかっただけで、是政も叫んだような「都」や「国」が。つまり野田中も上の方で何かしら挟まれている立場。

全面に押し出されるほどじゃないけど、常に不条理な空気がまとい、つくづく仄暗いお話だ。

 

 

 

底根八起子

名は体を表す。しかし何て名前だ。八回起きてるということは少なくとも七回は転んでいる。今回のお話の中で、何とか幸せになってほしいと最も思ったキャラクターだ。

彼女は誰が見ても板挟みの立場にある。どん詰まりのやかましい(何せいっぺんに喋る!サウスパークの「やいのやいのやいの!」を思い出した笑)住民達の相手をし、上手くいなしつつ区議会議員に意見を提出しようとするもそれは聞き入れてもらえない。野田中にしても彼女の意見は何の効力も持たない。

当然ながら底根は好きで上に意見を通せないわけじゃない。会議室?で野田中の企みにドン引きしている場面があったり、時には住民達の手助けを彼女なりにしようとする。人の心が残っているが、結果彼女にできることはない、苦しい立場にいる人だ。ただその苦しさを劇中では外に出さない。あくまで明るく振る舞うし、自己を肯定していて常に気丈だ。

そのために、住民たちに起こる悲劇についてしょうがないと割り切っている節があるけど、当然の流れだと思う。彼女は強すぎてむしろ人間味がない。野田中でさえ、立場故の弱音を吐露していたのに。…底根もきっと劇中では見えないところで発散しているはず。あんな、貧乏人が!と怒鳴るくらいじゃ足りないよ。発散できていますように!!

 

 

 

白渡由乃

第一印象は、凛とした「綺麗な女性」。だったのだけど、彼女もあまりに強すぎるキャラクター笑笑

住民に襲われている是政を助けて栄えている川向こうの街に連れて行くシーン。過去に是政によって彼女が負った傷について、何度も彼女の口から語られた後、真っ暗だったバックがぱっと明るくなり川向こうの住民がずらり。

ただでさえ負傷して弱っているこの時の是政の背中があまりに小さく感じたし、あ、これ終わったな…と思った。助けられたと思ったら、由乃になら頼って良いと思っていたら結局は多勢に袋にされる運命か…

と思ったよ!てっきり!

川向こうの住民たちはやれ男の方だとかお嬢さんだとか話しているし、由乃は当たり前のように手にグローブをはめる。

いやあんた本人が殴るんかい!!!!

自分の恨みつらみは自分の手で発散する。ただの箱入り娘じゃない、彼女もまた強くて何より面白い女だ…と思っていたら是政にも同じグローブをはめさせる。

 

まさかのボクシング一騎討ち!?

白渡由乃、面白い!!ボクシングという方法をとったこと自体は唐突で盛大なギャグシーンだと感じてしまったけど。

是政に過去の結婚式の件を話している様子なんかは、なかなか重たい…内容が内容だけど話し方がとにかく、由乃の傷がどれほど大きなものであり日々あの件で頭が埋め尽くされていたことか。

にも関わらず、由乃の取った行動はまさに正々堂々。是政を一方的に殴ってボコることも可能だったろうに。是政にも同じ武器を渡すことで、双方攻撃のできる平等な殴り合いに(強引に)持ち込んだ。

是政にも全力で向かってきてほしかったんだと思うと、由乃が本気で是政を愛していたことが伝わってきて切ない。その上で、もうよりは戻らないと理解しているから吹っ切る覚悟を決めた。だから自身の手で是政を殴りまくった。

彼女も幸せに…きっとなれてる彼女なら。

 

 

他にも、というか登場人物みんなみんな魅力的だった。柳英起もすごく良いキャラだったし…いるだけで謎の安心感。書ききれません!

全員、完璧じゃないところが好き。良い人もいないし悪い人もいない。そんな人物達を舞台で観られるからこそエグいくらいの人間らしいリアリティがある。

 

 

そして是政と政子。観劇から1週間が経った今、心の中で存在感を放って居続けているのはこの2人だ。

前回の記事に書いたことから考えは大して変わっていない。共感はしていないし、2人の幸せを願う気持ちも起きない。

でも、戦い抗い続ける者がそこにいたという事実、その姿がとても鮮烈だ。ずっとずっと忘れたくないな。

不安定な時代でしかも戦争を経験している。でもこの兄妹の親を奪ったのは戦争というより……。実際は違うと思うが、政子は特に「自分のせいで母親はいなくなり、そこから崩れていった」と思ったまま大人になったのが難しいところ。その時点で彼女に光はなかった。

言葉にできないし、わからない。でも少なくとも佐竹兄妹のことを嫌いではなくなったかな…。

政子は上から人を見下ろして皮肉を言うような人、だけど、それだけ皮肉が出るということはそれだけ物事が見えているということ。人よりものがよく見えるって、それもそれで辛いこと。難しいキャラクターだ。

 

 

今回の話は観た直後と、時間が経ってからで大きく印象が変わると感じた。その場でわからなかったことや受け入れられなかったことが、落ち着いて考えていくと腑に落ちることが多い。

例えば、今作の名台詞とされる

『全速力で迂回しろ』

『プラスでもマイナスでも良い、0が1番嫌だ(うろ覚え…)』

前者は「急がば回れ」と似ていると思うが、その回り方について言及していると考えてみたら面白くて親近感が湧いた。

俗な表現だけど、噛めば噛むほど味のするスルメのようなお話…に当たると思った。舞台というリアルタイムで感動を浴びるナマモノの作品でこういう経験ができるのは予想外で、すごく面白い。

 

 

 

 

舞台装置について

映画やドラマのような映像作品とは違う、どちらかと言うと実体験のように感じる舞台。まだ数えられるくらいしか観たことはないけど、特有の「魅せ方」というのが本当に面白くて!!!!!

当然、舞台というのは演じるフィールドの大きさが物理的に限られている。決まった大きさのステージの中で、いかにしていくつもの場所、時間軸を表現していくのか。今作も例に漏れずとても面白かった。

建物が横に広がるだけでなく、中央に大きな階段を渡らせたことで上下の広がりがあった。客席から見てもけっこうな長さのある階段に見えた。演者たちが昇り降りに時間を要していた印象。ここがこじんまりとしていたら街っぽくなくなってしまうし、しかも階段がくねくねしていたところが入り組んだ街を引き立たせていて良かった。

かと思うとステージ上で暴れていた是政が、一瞬で街(セット)の1番上にいたり。いつの間に階段を駆け上がっていたのか!とにかく身体の動きが速く、あっという間に縦横無尽に移動してしまう姿がカッコ良かったし、ハッとした。

 

空間の見せ方が面白いな〜と思っていたらメタ的なシーンもあって、そこがあまりに潔くてこれもまた面白かった笑

ペンキ屋がボートで荒れた川に繰り出すシーン。川はセットの最上部から向こうにあることになっていて客席からは見えない。(例外で兄妹達が川に繰り出した際には模様の映し出された大きな布で「川」が表現されてはいたが)

だから様子を見に行った住民がペンキ屋の様子を事細かに実況してくれていた。

「ペンキ屋が!ボートに乗ったぞー!」とか

「ペンキ屋のボートが!どんどん沈んでいくぞー!」とか笑笑

どうやったら自然に見せられるかだけではなく、違和感を隠すことなく堂々とやってしまうやり方も潔くてとても好き笑 住民が一生懸命実況している中ペンキ屋の奥さんは様子を見に行ってすらいない。変なんだけど、印象に残っている。不便や制限も楽しんでしまえるアクセントとして良い意味で!

 

制限だなんだと思っていたら、不可能などない!と言わんばかりのぶっ飛んだ演出が突然現れる。文字の通り、バイクが客席の上をぶっ飛んだ。これこそ!一生忘れない…

バイクは実際のものが使われていてステージ上を走る様もとても迫力があった。だから見た目的にも重さのあるもので、宙を舞う…なんて思わないじゃない。でもこの作品に触れて、バイクは飛ばないと思い込んでいた私が間違っていたとよく分かりました!!!目から鱗が落ちました。

 

また、劇中で街中の看板をスクリーンに見立てた演出が2か所ある。バイクタクシーの仕事中にブチ切れた是政と、菊田の宣戦布告(?)

本当に何でもあり!!!前者はギャグ感が相まってシュールで面白かったし、表情をよく見せてもらえたのが素直に嬉しかった笑 後者は事態の深刻さや嫌な気持ちを増幅させてくれて良かった。

しかしあくまでリアルタイムで楽しませてくれる舞台だから、スクリーンを用いた映像を多用せず2か所に留めたのもすごく丁度良いと思う。

 

このスクリーンの演出が印象的だったのもあるし、登場人物の感情やエネルギーが放出されぶつかる展開、

この作品、漫画にしても面白そう〜なんて考えてしまった。

舞台のための作品だと分かっているつもりだけど、漫画ならではの見せ方で情景や人物の表情などを動きのある大きなコマ割りで魅せていくのも面白そう〜と妄想が止まらない笑

何回か舞台作品を観た中でこんな風に思ったのは初めてである。

 

 

 

 

元気について

前回記事に書き忘れた大事なこと。私はこの作品から「怒り」という形で元気を頂いたと感じていたけど、それだけじゃない。

「何があっても自ら死を選択することはあってはならない」と強く思わされたことだ。もっと短く言ったら「何があっても絶対死ぬな」。

(結果オーライとは言え)崖からバイクで飛ぶことをした佐竹兄妹に強い怒りと反発を覚えたからこそ、心の底から「みっともなくても、情けなくても生き抜いてやろう」と思った。やっぱり私は流されるままの住民に考えが寄っているかも…?

「死にたい」と思うことは長らく私にとって日常だ。年々かなり頻度は減っているし特に病歴があるわけではなく至って健康ではあるけど、死にたいと思うことも何らおかしいことではなく普通だと思っている。(現に今生きているし。)私はそんな人間なんだけど、嘘偽りなく「生き抜いてやる」と思ったのはいつぶり…?というか大人になってから初めてかもしれない。

これこそ、作品から頂いた最大の元気であり生命力だ。これには感謝しなければならない。時間をかけて…(思い出すとやっぱりまだ少しモヤモヤする笑)

 

 

 

こんなに色々言葉が出てくることも、腹が立ってしまったことも、間違いなく面白くて「良い作品」だからこそ。観劇できて良かったと断言できます。

大千秋楽まで無事に完走できることを祈っております。

 

 

閃光ばなしを観た

 

観ました。

 

※記憶力がゴミなので感想としては稚拙極まりない上にもはやただの自語りと化していますがネタバレがないわけじゃないのでこれから観劇予定のある方は読まないでください。

 

※先に言いますが、自分の肌に合わなかったのでネガティブな話も沢山します。良い悪いで語れるものではないことは前提の上で、発散させてください………

 

 

※強烈な心のしこりと苛立ちを発散させてください…………

 

 

 

 

 

一言で表すなら、「コント『閃光ばなし』」

後半につれて「ファンタジーコント『閃光ばなし』」

 

瞬きする暇もないくらいの怒涛のカオスだった。まず初見じゃ把握しきれないくらいの登場人物の多さ。そして全員が殺気立っていていっぺんに喋るし何かったらすぐ殴る蹴る。

そもそも始まり方もかなり乱暴だった。大音量のバイク音が鳴り、なんだなんだ!?と思っているうちに幕が上がって面白かった。

もちろん目が足りない笑 やはり安田さんを目で追ってしまうので全体を見られなかったけど、1人1人がすごく面白い動きをしていたんだろうなあ………人物の動き自体はコミカルで本当に面白かった。

 

しかし、ギャグ?客席から笑い声が聞こえるシーンが多々あって。ああ、これは笑うところなのかと認識したのだけど。

どうしても私は笑えなかった。

笑ったところがないわけじゃなかったけど、政子が野田中のじいさんを(ボートから落として)「殺しちゃえば?」と言ったところは素直に笑えた。でも、そこだけだな。

面白くないわけじゃない、話に釘付けになった。しかし笑えない。私が人と笑うポイントが違うのか?と考えてしまうとそれまでなんだけど、多分そうじゃない。

昭和特有の大変な時代背景で誰もが必死だ。登場人物たちの主張にうなずけることも多く、立場ごとの苦しみも想像できたし伝わった。私にはどれも己を貫いた真剣な行動や言動として観ていたから、ギャグ?が茶々を入れてきているように感じて余計だと感じてしまった。言い換えればユーモアか。苦しい時こそユーモアがなければやってられないかもしれない。じゃあ、少なくとも今の私にはユーモアを楽しむ余裕がなかっただけかな。多分私だけじゃないそんな人たちは。

 

 

佐竹兄妹。

 

共感できない。感情移入できない。

政子に至ってはかなり嫌いなタイプのキャラクターだ。

そんな政子を大事にする是政も分からない。個人的な話として私がひとりっ子だから兄弟の絆に疎い方とか、そんなことを抜きにしても。

劇中のとにかく第一に政子!他の何を置いても政子政子政子!という異常ムーブをかます是政は滑稽で面白かったし惹きつけられた笑

色々言ってるけど、勿論「佐竹是政」と「佐竹政子」というキャラクターについての感想ですよ!?というかこれだけ言っておいて本当に目が離せないくらい魅力的ではあったのだから!!!

 

政子みたいな傍観者、しかも上から人々を見下ろしてそれっぽい皮肉を言うだけの人物が嫌いだし苦手だ。現実にもいるじゃんそういう人。でも何もしてないわけじゃない、窮地に立たされれば政子自身が武器を取って戦うし政子から行動を起こすシーンもとにかく多かった。何より主人公是政の原動力という役割…。そう考えたら色々やってるし政子という芯の通ったキャラクター。

でもどこかで「口だけじゃんこいつ」と思ってしまうのは、長いものに巻かれていくどん詰まりの民衆と一緒に働かないシーンが印象に残ってしまったのかもしれない。

私は佐竹兄妹じゃなくて、どん詰まりの流されていく民衆や板挟みでも強かな底根八起子に共感した。

どん詰まりの民衆のことを流されていくと書いたし、劇中でも権力者の言いなりで〜みたいな描かれ方をしているけど、それの何が悪い?

佐竹兄妹は最後まで抗った。しかし抗うことに共感できなかった以上、私はこの物語に共感できない。

 

終始不穏な展開に、どうなっていくのか…?本音を言うと、私が納得できる終わり方をしてくれるのか…?と常に続きを求めて釘付けになった。暗転するたびに「これで終わりだったらどうしよう」と不安になった。(とにかくギャグが肌に合わなかったのが大きくて全体的に不安でソワソワした感じ)

終盤の裁判から佐竹兄妹がバイクで逃亡するシーン。逃亡…正直好みではないけど、あの話の中ではそうするほかない。この物語を通して逃亡の展開にも肯定的になれるかもしれない!!!とか思っていた矢先、電柱守りの人が言った。

佐竹兄妹は高台の崖から飛び降りて

死ぬつもりなのかもしれない。

 

 

は???????????

 

 

腹の底から怒りが湧いた。

正解とか間違いとかじゃないんだ。死んでおしまいは、大 嫌 いなんだ。

長いものに巻かれるくらいなら、負けるくらいなら、死ぬと?それが綺麗でかっこいいとでも?

 

へ〜そうなんだ…と思った瞬間佐竹兄妹の存在が陳腐に感じられてしまってだめだった。

 

宙に浮いたバイク。

今更だが、私のいた席、1階の双眼鏡無しで人物の表情がハッキリ見えるくらいの距離のどっっっ真ん中。

更に近くで見えた是政と政子。

安田さんがあまりにもかっこよすぎて、尊すぎて

腹が立って睨みつけてしまった。違う、安田さんを睨みたいんじゃない…辛い…なんかキラキラしてカッコつけてんじゃねーよ!!と腹が立って。

 

まあ、結末を見るに政子はひょっこり現れるし兄妹は死んでないらしいんだけど、バイクを壊しただけ?それとも本当に飛び降りたけど奇跡的に助かったとか?

う〜んもやが残る。正直言って私の理解力が及ばず「よくわからないEND」である。私の都合で悪く言うなら「投げっぱなしEND」である。だって、分からないし、分かるだけの共感も感情移入もできなかったんだもの。

それに、どん詰まりの人々はほとんど夜逃げした。多分彼らは自分なりの幸せを見つけていける強い人たちだ。だから正直佐竹兄妹が勝とうが負けようがどうでも良くなっているというのが本音。自分たちのために、自分のために戦っている。筋が通っていることに違いはないけど、興味が持てない。

 

 

頭のどこかに『忘れてもらえないの歌』がよぎった。そりゃ昭和三部作とされているくらいだし…

ネット上のどこにも感想を記すことなくこのまま来てしまったのだけど、私は『忘れ歌』に大きなトラウマを持っている。(※こないだ手帳を整理したら感想の殴り書きを見つけたので気が向いたら記事にします…したい)

だから話が上手く運ぶはずかない、どこかでしっぺ返しをくらう、主人公たちはどん底に落とされる、無意識にそんなことを予想立てて話を観てしまうのだ。

極端な表現をすると「ご想像にお任せしますEND」の今作、正直言って消化不良。無意識に忘れ歌のような圧倒的な悲しみや絶望を求めていたのかもしれないし、本当ならそれを覆すような爽快なGOOD ENDを期待した。まさかのそのどちらでもない。ある意味それってリアルだ。舞台でくらい良い夢でも悪夢でも見せてほしかった。

 

亘も強烈なキャラクターだった。厳しい時代を生き抜き、手段を選ばない点がとても分かりやすかったかもと改めて思う。

是政には大事な大事な政子がいる、だから亘ほどの目的のための豪快さはなかった。また、尊厳を捨てる行動もなかった。別作品のキャラクターにしても、どうしても比べてしまって分かりやすさの点で中途半端さを感じてしまった。是政は複雑でしがらみもあって理解も共感もできない。むしろ人間って本来そういうものか。

 

つらつらと文章にしていたら怒りが収まり心が落ち着いてきた。肌に合わないと言って忘れることはしたくなかったから、何故肌に合わないのか記憶の許す限り時間をかけて考えていきたい。

そもそも忘れさせてくれない。是政がそう言ったから。

野田中の圧倒的な権力で民衆を飲み込もうとも、嫌でも俺たちのことを思い出させるようにしてやる!と叫んだシーン。客席に指をさして、目玉をひん剥いて…

繰り返すが私の席はどセンター。ちょうど是政に指をさされる(ように見える)だ。是政の、安田さんの目を見ていたらこのシーンだから、身体は硬直しヘビに睨まれた蛙状態。かっこよさが爆発とか通り越して、怖くなっても、単純に目が合う(と感じる)恥ずかしさから目を背けたくなってももう目が離せない。

是政に指をさされた瞬間私は野田中になった。いや、でも野田中ほどの力も野望も持ったことないし経験がないよ……

 

だから「俺たちを忘れるな」というメッセージが残る。強い衝撃、感情として例えられないある種のトラウマとして……

大事なシーンなのに安田さんカッコいいと思ってしまうのが愚かしい。事実だけど。

 

安田さんは身体が小さい。背中は大きいんだけど、他のキャスト陣と並ぶと、小さい。何故か女性の方が大きい。

身体が小さくなかったらそれは安田さんではない。今回は特にそんな安田さんが大きく大きく大きく暴れている姿が見られて本当に幸せだった。

 

 

 

カーテンコールでスタンディングオベーションが起きた。安田さん、キャストの皆さんも素敵だったから顔が見たいと無意識に身体は立とうとしたはずなんだけど、立てなかった。理由は上に散々描いた通りのことで頭が怒りでいっぱいだったから。膝の上の荷物が何万トンもの重みに感じて、立てなかった。

でも少なくとも、立てば良かった、失礼なことをした、と後悔するくらいなら本当に愚かなことをしてしまったと思う。

 

最寄りの宿への帰り道、奇しくも「男女の2ケツのバイク」と親の前ではしゃいで「踊る女の子」を見かけた。正直言って腹立たしかった。確かに、一生思い出すと思う、あの兄妹を。

 

私情により私は多ステができない。だから1回の観劇が本当に大事だ。

複数回観劇すれば、こんな否定的な感想ばかりでなく理解が広がり考える余地も増えるのだろう。だからこそ、この1回を、今日抱いた怒りをずっと忘れないしこの1回を考えていきたい。

 

「元気のない人こそ観てほしい」って宣伝していなかったっけ?

確かにある意味元気が出たよ。怒りもひとつのエネルギーだから……この後東京とはかけ離れた田舎に帰って、怒りながら仕事を頑張っていけそうです笑

 

関ジャニ∞はやっぱりライブが最高【後編】

前編https://kibunsonouchi.hatenablog.com/entry/2021/11/21/220641

 

 

○信じて良かった

恥ずかしい話、色んなことが重なって関ジャニ∞を見られない時期というのがあった。本来なら誰にも話すべきではない、醜くわがままな理由と感情である。

 

 

 

話は遡り、錦戸さんの脱退が決まり5人体制がスタートするというタイミングの時。同時に47ツアーの開催が発表された。

 

誰がどう考えても今のファンクラブ会員の人数に見合わない収容人数だった。行けないファンの数の方が圧倒的に多いツアー。

都道府県を把握しているわけではないが、会場のアクセスもお世辞にも良いとは言えない。私の住む北海道もそうだったが覚悟を決めて応募。まあ、当たるわけがない。

 

当たった人は素直に強運だし良かったね、と思う。しかし参戦経験が少なくこれが初めての落選となった身としては、一気に∞との距離が遠くなり、もっと醜い言い方をすると突き放された感覚になった。

そもそも6→5の衝撃が抜けない中で、少人数だけ集めてライブをやる。何なら∞本人達にとっても無茶なスケジュールであり、体調が心配になるし「何でそこまで?」と思わなくもなかった。

 

彼らは生きているし意思がある。何でもファンの、私の思い通りに行かないのは当たり前。

そう分かっていても思い通りに行かないことは素直に面白くないし、せわしなくて感情が追いつかない。心から好きだという気持ちはかなり揺らいでしまった…

 

結局、ツアーは中断になる。誰も悪くないけど有耶無耶になったと私は見ている。希少なチケットを勝ち取ったのに行けなかった人の気持ちを考えると心が張り裂けそうだし、無茶をしてでも走ろうとした∞の出鼻を挫かれた事実には虚しさを感じた。

 

 

誰も悪くないけど、コロナが全部悪い。

コロナが日本でも身近になってきた頃、不安な日常の中で「外出するな」という声が聞こえ始める。

 

リモートワークに切り替えられる職種なら、世論通り外出しない努力ができる。個人的な話だけど、職場の専用の機械を使ってものを作る製造業の私にとってはどうしても出勤する必要があった。そして運が良いのか悪いのか、コロナが流行り出した頃はたまたまとんでもない量の注文が入っていて忙しく、通常よりもむしろ出勤日数は増えていた。ほぼ毎日、「外出しなきゃいけなかった」

勿論、出勤以外の外出はしなかった。不要不急の外出を控えるというのはこういうことだと今では分かる。家から出ないで仕事をすることだけが正解ではなく、個人でできる範囲の努力をすべきということを言っていたんだと今なら思える。いつの日か関ジャニ∞のメンバーも訴えていた「外出するな」という言葉もそういう意味だったと捉えたい。

でもたまたま疲れてキャパの狭くなった当時の心にはその言葉がひどく突き刺さってしまった。

 

私の仕事は医療や介護、教育など人と関わるわけでもなく、製造業の中でも生活必需品を作っているわけでもなく、とにかく「なくなったら困る仕事ではない」と勝手に劣等感を抱いていた。気持ちが落ちていくのは簡単で、しばらく「自分は毎日不要不急の外出をしている悪い人間だ」と思いながら出勤する日々が続いた。

 

そして気づいたら医療現場が大変なことになっていて、…こんなテキトーな言い方をしてはいけないくらい大変なことになっていて、ジャニーズ総出で医療従事者を応援する動きが始まった。

 

関ジャニ∞がRe:LIVEにむけて動き出したのもこの頃だった気がする。まずは歌詞を作るのにエピソードや言葉を募集するところから始まったっけ。

 

すっかり先ほどの被害妄想にどっぷり浸かったクソゴミメンタルの私は、このプロジェクトについても「医療従事者のためのものでしょ」とひねくれた目で見ていた。医療従事者を始めとする、大変な思いをしてコロナと戦う人達。外野の人間なりに、その過酷さに胸が痛んだ。だからこそ、私も曲がりなりにも仕事をして日々生きているけれど、このプロジェクトの対象に私は入っていないと思った。もう自分はeighterと名乗って良いのかどうかも…当時のことを書いていてそろそろイライラしてきたのでやめます。無駄に長いんだよここまで!!!!!

 

 

そんな感じでクソみたいに色々考えてしまったわけだけど、関ジャニ∞が素敵すぎるからやっぱり好きなものは好きだった。自分の思う理想のeighterとはかけ離れているけど、まずは無理せず彼らのことを見続けたいと思った。

 

いつしかコロナ禍になって長い時間が経って、良くも悪くも未知への恐怖は薄れてきた頃。環境や世論が少しずつ変わったことで自分自身の∞に対する醜い感情は薄れていった。もう、遠く遠くの存在だと割り切れば良いと思った。

 

関ジャニ∞は5人の新曲を次々と発表した。更に、「歌を強化する」方針を打ち出した。

 

年齢やキャリア的に熟されて良い感じになってきたようなタイミングで、まるで初心に帰るような挑戦に度肝を抜かれた。このカッコいいグループを好きになって良かった、応援したいとごく自然に思った。

 

しかし私の住む地方も含めてコロナは収まる気配がない。それ故彼らのアップデートした歌を現場で聞けることはもうないんだろうとも思った。

 

 

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8beatにおいて

初日公演中、確か村上さんが、関ジャニ∞はジャニーズグループの中でコロナ禍での有観客ライブをやるのが遅い方だったというニュアンスのことを言っていた。

やっぱり、十五祭からのおよそ2年ってとてつもなく長かったんだ。

 

もう現場には行けなくて当たり前なんだと諦め切っていた所でのアリーナツアーの発表。寝耳に水だった。そして何故か東京の会場はないし西日本の会場が少ない中で札幌で3公演もやることが分かった。ひたすら奇跡だしありがとうなんだけど…改めて何でだったんだろう????笑

 

この時初めて真剣にコロナの収束を祈った。個人の対策でどうにもならない部分に絶望するのではなく、初めて快方に向かうことを想像して祈った。

 

 

 

どの公演でも勿論参戦できれば嬉しい。しかし近年は北海道って初日が多いよね。初日ハッピー!

今回はコロナ禍ゆえの試みが多いし観客の…エイターのマナーが問われるという意味で責任ある初日だと自覚して臨んだ。

 

 

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「まもなくRe:LIVEです!」というアナウンスで開演。

そして5人が登場と同時に初めて生で聴くRe:LIVE…

 

この時に初めてRe:LIVEの歌詞が頭に入ってきた。eighterの1人としての私に向けても歌われていると、感じた。心が開いていくように、涙が溢れ出た。

 

信じていて、良かった。

私はeighterになれて、良かった。

 

会えない期間が長く続けば続くほど、不安は大きくなり心は弱る。「わたし鏡」で安田さんが歌っているね。

その上歴史に残るようなこの特殊な超閉鎖的な環境。信じる気持ちも揺らいでいく。事情はそれぞれあれど、ネガティヴな感情を抱いたファンは私の他にもいるんじゃないかと思う。(いなかったら謝る。)

 

ずっと私は生の歌を聞きたかったんだ。

生の姿を見たかったんだ。

信じたかったんだ。

 

 

コロナ禍で苦しい思いをさせられたのは関ジャニ∞本人達だってそう。私には想像しきれないくらいの苦しみかもしれない。

なかなか表に出られなくても、歌の技術を磨いたり、横山さんがまさかのギターに挑戦したり、見えないところでたくさん努力をしてくれて確実にレベルアップした5人のライブを見せてくれた。

生きているだけで好きなんだけど、かっこよさにゴールがない、いつまでも昇り続ける関ジャニ∞が好き。

 

8beat真駒内公演初日、この大切な1公演を胸に秘めて彼らを信じ続けられる。

 

 

まだツアーは最初の段階なのに気が早いけど、次のツアーもやってくれることを強く願う。参戦できないeighterの存在を少なからず知っているからだ。近いところだと私の母親。勤務先のきまりで、住んでいる町の外に出ることが実質許されていない。応募の段階で諦めざるを得なかった。

 

ライブ中にもヤスくん?丸ちゃん?(忘れてしまった…)が「会場に来れなかったeighter」としっかり名指しして気にかけていたのが印象的だった。

今の関ジャニ∞を見て、この8beatツアーが最後なんかじゃないと信じられる。アラフォーの彼ら、充分すぎるほどかっこいいのにまだまだかっこよくなるらしい。

 

 

ライブを大事にしてくれる

かっこよくなり続けてくれる

到達点が無限大な

関ジャニ∞が好き。

 

 

「eighterで良かった」

 

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もし最後まで読んでくれるような物好きな方がいましたらありがとうございました( ;∀;)

自分でもむしゃくしゃするくらい醜いことを書きました。これは酷い考えだと分かっていたから今の今まで誰にも言いませんでした。絶望した環境の中でこんなことを言ったらただの愚痴と文句になって終わりだから。

今少しずつ希望が見えて、素敵なアルバムが出てツアーも始まって、気持ちが切り替わって今はあの時のネガティヴな感情とは違うと断言できるからこそ忘備録として書いた次第です。