右向け右、向きたくなくても右、③

①→ https://kibunsonouchi.hatenablog.com/entry/2024/03/21/203656

 


②→ https://kibunsonouchi.hatenablog.com/entry/2024/04/06/235804

 

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1.

首は依然として言うことを聞かない。

症状には波がある。加えて、人と話したり何か気の紛れることができれば気にならなくなることもある、これについても完全ではない。

少なくとも、動かないこと、安静にしていることが私にとって間違いなかった。何がトリガーになって首が動くのか、自分でも把握しきれないしわからない。

 

体力と気力は確実に落ちていっている。

1日がとてつもなく長く感じる。仕事をしない、ただそれだけで。

けれどこうして改めて振り返ると、たとえば1週間単位、ひと月単位で見るとあっという間である…。

 

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2.

希死念慮なんてあって当たり前と自分で思いつつも、4月に入ってから明らかに主張が激しくなってきたというか存在感が増していった。

 

ランドセン を飲む量を増やしたことで、起きていることがとにかく辛くなった。副作用の眠気や怠さが強烈になり、横になっている時間が増えた。

このことは私の希死念慮が強まったことと関係していると思う。

※素人判断だが、薬が希死念慮を直接呼び起こしたのではなく、あくまで薬を飲んだ私の過ごし方やその日の行動から来ている思考だと思う。

 

また、日々を過ごすにつれて何をするわけでもなく涙が溢れ出るようになった。ひどいときは母親がいる前でも…人目をはばかることができない。

 

厳密にはこの頃から感情の起伏が激しくなっていったんだと思う。普段ならしょうもないことがとてつもなく面白く感じたり、ちょっとしたことで腹が立ち、やり場のない殺意を覚えるなど…。喜怒哀楽の感情が全体的に増幅した感じ。ただし、喜びと楽しみの増幅はうまく自覚できていないのか、怒りや哀しみには劣るのか…。

 

まるでノルマのように毎日毎日思い通りに過ごせないことに嫌気がさして泣き叫んだ。少しでも自制が効けば声を殺して泣いた。時間帯や何をしているときなのかタイミングは厭わず涙が溢れ出る。さいわい、外ではまだかなり自制が効く。家の中での話だ。

 

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3.

死ぬことについて考える内容が具体的になった。自殺の方法について考えを巡らせたり、死にたい気持ちが本格的に鮮明になっていった。

当然、自発的に考えるのではなくそれらで頭がいっぱいになるのだ。自分で頭の中をコントロールできていたらとっくにしている。

 

ある日、その日もたくさんの時間を横になって過ごしていたと思う。起き上がるとふらついたから四つん這いになってゆらゆらと移動した。

キッチンにある、包丁に用事があった。

 

四つん這いの私の目線から、包丁は高い位置にあったから立たなければならない。いちいち、ひとつの動作に気力を要する。手を伸ばして立とうとしたときに、高校時代の友達の顔がはっきりと浮かんだ。

 

彼女がこの世からいなくなってしまったら…そんな想像をしてしまって、当時は涙を流したものである。縁起でもない話だが彼女は人よりもその可能性に近いところにいた。どうしても嫌だった。

 

包丁を手に取ることはやめた。代わりに電話を手に取った。

 

カウンセリングの予約を入れた。

 

ずっと連絡をとっていないから、今どうしているかはわからない。でも、確実に彼女が助けてくれたんだ。

 

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4.

カウンセリングの予約日までの間に脳神経内科の通院日があったので、ランドセンを増やしたことによる副作用がきつい旨を伝えて、他の薬はないものなのか尋ねた。(自分の感覚的に、とにかく今は何かしら薬の力が必要だと感じていた。というか、症状があるのに全く絶ってしまうのは極端だし不安だった。)

 

薬が「ランドセン」 から「グラマリール」というものに変わった。

 

このグラマリールを毎日飲み続けて1週間弱。効果は感じられない。ランドセン を増やしていた時と比べたらその差は歴然。

 

ただし、このグラマリールの説明書にこんな文章が。

「服用後すぐに効果が現れるものではないので、長期に根気よく服用してください」と…。

 

素直に、根気よく従おうと思っている。

 

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5.

人生でカウンセリングを受けるのは2回目だ。確か、大学時代にも学内のカウンセラーに話を聞いてもらったことがある。その時は…正直言って有益なものは得られなかった。

 

カウンセラーとの相性というのは確実にある。それを踏まえた上で、「見知らぬ人に話したところで…」という思いが強まった。どれだけ優しい言葉をかけてもらえども、私の全てを肯定してくれども、「私のことなど何も知らないくせに!」と思ってしまう。わがままだろうか?

もっとわがままを言うなら、元から自分を知ってくれている人に話を聞いてもらいたい。しかし少なくと自分の周囲の人らの中に専門家はいない。そして、周囲の人たち、私にとって大切な人たちの時間を私が奪ってしまうのは申し訳ないし望まない。みんな自分の人生を歩んでいる、みんな忙しい。

 

と言いつつも、実際に話を聞いてくれた私の大切な人たちがいる…頭が上がらない。

 

そんなことで、(勿論決められた時間枠の中にしろ)惜しみなくこちらの話を聞いて頂こうと思った次第である。

 

今回のカウンセリングでとにかく対話の時間を確保するべく「私について知ってもらう時間」を短縮したいと考えた。

そのためカウンセリング当日の朝に…結局のところ殴り書きのようになってしまったのだがA4用紙2枚にわたって私の心身の状態と、感じているストレスの原因と思しきこと(去年から何があったのか)をまとめた。

気分がどうしても乗らなくてギリギリになってしまったのだが、リアルタイムの率直な気持ちで自分の状態を見つめられたと言えば聞こえは良いだろうか?

 

自分であらかじめ自己紹介…ではないけれど、内容をまとめたシートを用意しておくというのはとても良かったと思う。

私が今回お世話になったところでは最初に問診票のようなものを渡されたしそこに悩み事などを書く欄はあった。それはそれとして、私がそのテンプレ用紙の記入中にカウンセラーさんに用意したシートを読んでもらうことができ、私的には時間を有効に使えたと思う。

 

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6.

今回お世話になったカウンセラーさんはとても印象の良い方だった。私の話を遮ることなく聞いてくれたし、的外れなことを言ってくることもなかった。

とてもネットには書けないような悩みも話した。そういうセンシティブな話題は、それ自体を解決するためにどうこうというよりは、その悩みを抱えているゆえの辛さというものを理解して寄り添ってもらえたことに好感が持てた。

 

私自身かなりカウンセラーさんに心を開くことができたのだと思う。話している間はとてもリラックスできた上に、我ながらかなり冷静に感情的にならずに思っていることを話せたと思う。何せ、90分の時間枠の中で私は一粒の涙も流さなかった。

勿論、泣いては話もできまいと多少耐えてはいたけれど、そこまでの我慢でもない。良い意味での距離を持って話に集中することに努められたと思う。

 

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7.

カウンセラーさんからもらった言葉(※今でも覚えているもの)

  • 身体と心のばらつきは避けた方が良い。身体は休みたがっている。
  • 色々なことがあって、疲れ切ってしまっている状態。精神的要因で首に異変が出ることも有り得る。
  • きっと、心身休まれば首は「治っていく」し生きるエネルギーが湧いてくる。(首と生きるエネルギーとどちらが先かよく覚えていない。個人的には繋がっているものと認識しているのでどちらでも良い。)
  • ぼんやりする時間を持ったら良い。
  • 昼夜逆転したり夜によほど眠れないというのでないのであれば、身体が疲れてるサインだから好きなだけ寝ても良い

 

また、このカウンセラーさんは整体もやっているとのことで(実際に整体目的で訪れるお客さんもいるそう)、私も少しだけやってもらった。

話に夢中になりすぎて残り時間が僅かしかなく、施術自体は10分ほどだった。勿論、首もやってもらった…

 

これが良くなかった。

 

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8.

まさに天国から地獄だった。

結論から言うと、カウンセリングを受けてすぐ、首も心も悪化してしまったのだ。

 

まずは首について…実はこれを書いている今も状態が悪い。薬も同じようなタイミングで変えているわけだし何が原因とは特定できないが、少なくともあの時に整体で首をいじったのは余計だった。

 

これは私の反省点である。

施術中、上半身を色々やってもらった中で首は明らかに痛かったし、苦しいと感じる場面もあった。

 

「痛みのない施術」を売りにしている方だった。そうでなくても、気持ちの良くないもの、望んでいない辛さ(物理)を感じたならさっさと言えば良かったのだ。悪い癖が出て、向こうから尋ねられるまでついつい苦しみや痛みを我慢してしまった…。

首は特に、すぐに力を弱めてもらえたが最初から特に力を入れてグイグイ押したわけでもないそうで、驚かれた。症状が出てからもう何ヶ月…首も肩も笑えないくらい相当なことになっているんだろうな。

 

実はカウンセリングに行く時まで、首の状態は落ち着いていた。完全にとは行かないまでも気にならないことが増えていたはずだった。

それが、カウンセリングに行って整体を受けてから施術されたところが痛み、痛みが引いてからは症状がぶり返してきたような感覚だ。

家でいくら安静にしていても、何か動作をすれば症状が出る。外に出ようものなら尚更…。

そして今に至る。気が遠くなるが、症状が出るのに波があるのならまた良くなる時期が来ることを祈るしかない。

 

もしも首の施術の時間がもっと長かったならば…想像するとゾッとする。

 

改めて言う、大事なので。

違和感を持ったらすぐに言う、施術の方法や力加減を変えてもらう。もしくは止めてもらうくらいの勢いで良い。

 

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9.

カウンセリングを受けたその日の夜は、これまでの人生において最も恐ろしい夜だったと断言できる。

 

…夜さえちゃんと眠れれば、日中好きなだけ寝ても良い。カウンセラーさんの言葉をそう解釈した私はその日の帰宅後すぐに布団に入った。実際に心身疲れ切っていたし、数時間単位で夕方までぐっすり眠った。夜も眠れるだろうと当たり前に思っていた。

 

それが、違っていたのだ。ちっとも眠れない。

同時に、頭の中の思考が止まらない………

 

人様に明かすために、いわゆる自分の心の闇をほぼ全て言葉に起こして表面化させた。ある意味で見たくないもの全てに目を向けたとも言える。

そして元も子もない話だが、私の10年来の希死念慮がたった1度のカウンセリングでどうにかなるものではないと思っていた。その上で必要性を感じて受けたわけだけれども。

 

辛くなったのだ、心の状態も。

 

あらゆる寝落ち用の音楽や朗読を聴いても、脳内を暴れる不安や恐怖が歌詞も台詞も全て塗り潰していった。 

希死念慮に留まらず目先の、もしくは未来に控えている不安や恐怖、または過去にあった嫌な出来事やトラウマ、更にはキリのない被害妄想…今は目を背けていたいと思っていたものや普段は忘れていたようなことさえも、ありったけのものが脳内を駆け巡った。

 

一人暮らしをしていた学生時代に希死念慮なり自殺願望が酷かった時期でさえ、眠れなかったという経験はない。本当に、この時まで1度も経験したことがなかった。(単純に私が歳を重ねたからだろうか…?)

 

次の日は寝不足だった。それでも数時間は眠れたはずだが、連日の多すぎる睡眠時間を考えると圧倒的に少ない。

朝起きたその瞬間からもう消えてしまいたくてしょうがなかった。朝食を詰め込んでいたら寝不足ゆえかお腹から胸にかけて嫌な痛みが襲った。「なんだ、心と同じで身体も死にたがってるんだ」と一瞬、嬉しく感じてしまった自分がいた。

 

SNSに散々愚痴や情けないことを沢山書きつつも時間の経過と共に希死念慮はゆっくりと身を潜めたものの、今度は虚無感に襲われた。起き上がる、立ち上がる、歩く…ひとつひとつの動作に気力を要すると言ったら良いのか。

まあ、その時何を考えていようが…首の不調以前に心の不調が原因でひたすら横になっている時間が多かった。

 

しかしそれらは日にちを重ねるごとに大人しくなっていき…今は心の方はすっかり回復できたように思う。特に希死念慮に支配される苦しみから解放されて、心が軽くスッキリとしている。

「悪くなっても忍耐強く過ごせば良くなった」

大袈裟かもしれないけど、自分の自信のひとつになった。

 

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10.

念のために言うが、カウンセラーさんに非はない。前述の通り、人によって相性がある。その上私はカウンセリング中に(物理的なことは除いて)嫌な思いをしたわけではない。

 

ただ、カウンセリングによる効果に期待をすれども、リスクのあることなのかもしれない…と勉強になった。

 

辛い時間が来ようともそれはあくまで通過点で、良くなるための必要な過程なんだと思えば有意義だ。でも、辛いものは辛い。辛い思いをしている間に生きて闘う覚悟があるか、そこは考えた方が良いかもしれない。

 

繰り返すが首は良くなっていない。心と身体が密接な関係ならば、良くなってくれた心の方に引っ張られて…便乗して?首も良くなってほしいものだ。不調が何もなかった去年までのようになんて、高望みはしないから…。

 

長い目で見ていきましょう、とは脳神経内科の先生にも言われたことだ。

気が遠くなるがそれもこれも通過点…。

生きている限り、諦めずに現状に耐える毎日が戦いだ。

 

後から笑い話でもできたら幸せなことだ。

 

全て、許される限り。

何もしないことが許される限り…